Computing Machinery and Intelligence
The New Media Reader(目次 03.): p.p.49-64 初出
Mind: A Quarterly Review of Psychology and Philosophy 59(236): 433-460. October 1950.
英文
邦訳 「計算する機械と知性」
Further Reading
Hodges, Andrew. 「Turing」 New York: Routledge, 1999.
当時はコンピュータという概念はなく、純粋に数値計算機と見なされていた。そんな中でアラン・チューリングはこの論文で「機械は思考できるものである」ことを示すとした。その画期的なアイデアと思考する機械の実現のための具体的な方法を考え、それに対する様々な異論を想定しそれを論破していくという斬新さから本稿は後々のコンピュータ科学者に多大な影響を与えるものとなった。 Introduction
コンピュータの先駆者であるチューリングはコンピュータが考えることができるかどうかを尋ねる代わりに、その質問を答えられるものに置き換えた。「コンピュータは、テレプリンターを介して通信し、人をだまして人間だと信じるこませることができるだろうか?」
彼の考案したチューリングテストは、1991年に始まったチャットボットのローブナー賞に影響を与えたものの、コンピューターサイエンスには役に立たないと非難されていた。しかし、知性の概念とそれを現象学的に定義する方法として、チューリングがコンピュータ科学者ではなく、ジャーナル「Mind」を読む哲学者にそれを提供したことがとても重要だ。そして人工知能の分野を予測するものとして、この論文はコンピュータ科学者の記憶に残るものとなった。 チューリングの論文は、「思考」マシンを記述するだけでなく、自然な会話できる言語的なコンピュータを記述する上で欠かせないものだ。そして数値と計算の領域を超えて新たなコンピューティング領域を広げる1つのインスピレーションとなった。
本文
「機械は考えることができるか?」この問いについて議論を展開していく
まず、「機械」とか「考える」という言葉の定義を明確に定めることは難しいので、そのかわりに「模倣ゲーム」と呼ぶ方式を提案した。この模倣ゲームにおいて「 “模倣ゲーム”に機械が参加したとき、人間と同じ程度に質問者を騙すことができるのか?」 この問いが、「機械は考えることができるか?」に替わる、新しい問いとなる。(チューリングテスト) この問いに対して意見や反論も様々あるだろうが、とりあえず模倣ゲームをうまくこなすような機械を作ることとした。現存する単なる「デジタル計算機」がゲームをうまくやれるのかどうかということではなく、「模倣ゲームをうまくやれるような想像上の計算機は存在しうるか」ということだ。
デジタル計算機は記憶装置、実行ユニット、制御装置の 3 つの部分からなり、これらを組み合わせることで様々な命令を何度も何度も実行できるように条件による分岐、条件判断を指示出来る。 この一連の処理の命令表として作っていく作業のことを「プログラミング」と呼ぶ。このデジタル計算機は、初期状態と入力信号が分かれば、未来のすべての状態を計算によって予測することが出来る。この計算をデジタル計算機にやらせることで、デジタル計算機は他のデジタル計算機も真似ることができる。この性質を「デジタル計算機の万能性 」という。つまり、一台のデジタル計算機があれば全ての計算処理を行わせることができる。(チューリングマシン)よって「万能性を発揮できるデジタル計算機であれば模倣ゲームをうまくこなすと考えて正しいのか」が新たな問いとなる。 6章では、これまで述べてきたことに対する様々な立場からの異論を想定し、それを論破していくことで本研究の正当性を示した。
まとめとして、デジタル計算機が模倣ゲームをうまくこなせるようにするためには、成人の精神をシミュレートするようなプログラムを作るのではなくて、子供の精神をシミュレートするものを作り動かして、それにしかるべき教育の課程を受けさせれば、やがて大人の頭脳と同じものになるだろうとの結論に至った。学習によって最初のプログラムで命じたこととは別のことをするようになるというのは、むしろ知的なものになるということだと言える。この不確実性が「誤りを犯すという人間の性質(human fallibility)」を人間特有のものではなくし、純粋に知的な領域で機械が人間と競い合うようになる、との展望を語った。